熊本・九州フランス語講座・翻訳・通訳

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本日のkktてれビタの反省会 :)


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熊本とストラスブールのご縁!

この情報が先日公開されたが、今年の秋に大西市長は、議員と職員を連れて、フランスの公共交通やまちづくりの先進事例の視察を行うことになった。3ヶ所の自治体の訪問が予定されており、ストラスブール、オルレアンとエクサンプロヴァンスを訪問する予定だ。

ストラスブールは、ヨーロッパで歩行者を中心としたまちづくりという分野において、最先端のまちづくりを行い、かなり良い優良事例を学ぶチャンスになるのではないかと期待できる!

そしてストラスブールと言えば、熊本と驚くべきご縁があったことをご存知でしたか?

では、大西市長が団長を務める「令和遣欧使節団」がフランスへ出発する前に、435年前の別の遣欧使節団の冒険を徹底的に調べてみよう!

慶長遣欧使節団が南仏のサントロペに寄港して、教皇に会うために海を渡る31年前に、別の遣欧使節団がローマで教皇に会うために、同じ旅を既にしていた。

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それは、九州出身の4人のキリシタン若武者で構成された「天正遣欧少年使節」のことである↓

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大友宗麟(おおとも そうりん)、有馬晴信(ありま はるのぶ)と大村純忠(おおむら すみただ)という九州のキリシタン大名に出資されたこの遣欧使節の一つの目的は、ヨーロッパとの貿易を発展させることであった。

4人の若武者は:
・伊東マンショ
・中浦ジュリア
・原マルティノ
・千々石ミゲル
だった。

彼らは12歳〜14歳だった。彼らは、当時島原にあったセミナリヨに通っていた。帰国後に同じ島原にあったコレジヨにも通うつもりであった。

1582年に出発し、彼らは1590年にしか日本に帰ってこれなかった。この長い船旅は彼らをリスボンと教皇がいるローマにたどり着かせた。

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ローマでは、彼らはローマ市民権を与えられた。

1591年に、彼らがヨーロッパから、140年前にストラスブールで発明されたグテンバーグ印刷機を持ち帰り、それが、なんと!キリシタン版と呼ばれた日本初の印刷機で、天草に移設したコレジヨに設置された!

グーテンベルグ印刷機

彼らはリスボンで滞在していた間に、印刷機の使い方を学び、1592年に「平家物語」を印刷し、翌年に「イソップ寓話」などというヨーロッパの代表作を次々と印刷した!

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このキリシタン版は現在、天草のコレジヨ館に展示されている↓

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しかも、彼らがヨーロッパから持って帰ったアイテムも他にたくさん展示されている↓

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そして!2014年に、イタリアのミラノで、ローマ滞在中の伊東マンショの肖像画が見つかった!

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熊本とヨーロッパとの間の縁は歴史のあるものです!

ところで、印刷術が発明される前は、本作りという作業は大変手間のかかる作業であった。

なぜなら、修道士がは、手書きで本を写していたからだ↓

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しかも、文字数でお金をもらっていた彼らは、収入を増やすために、当時定まっていなかった単語の綴りを自由に変えて、無音の文字(最初の「h〜」や最後の「〜t」など)を加えたり、同じ子音を二つ重ねたり(「〜nne」「〜sse」「〜tte」など)していた!

印刷術が現れて、単語の綴りが少しずつ決まっていったが、その背景があったから、現在のフランス語の単語の綴りがあんなに複雑になったわけだ...

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2019年9月10日 TKUのニュース

先日、銀座通りにあるフレンチの「アルカンジュ」に取材もため、お邪魔しました!

その様子を今夜のニュースに放送されます!お見逃しなく!

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初めてフランスの大地を踏んだ日本人

「サントロペ市」をご存知ですか?

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南仏のマルセイユの近くにあるリゾート地です。

サントロペは、日本人が初めてフランスの大地を踏んだ場所です。

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それは1615年の話です!

彼らは、教皇に会うためにヨーロッパに派遣された「慶長遣欧使節」を構成していたキリシタン侍であった。

奥州の藩に仕える武士の支倉常長(はせくら・つねなが)を団長に、彼らは、ヨーロッパとの貿易を発展させるために、藩主の伊達政宗に派遣された。

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(支倉常長の肖像画)

彼らが、船でスペインからイタリアへ向かっている途中に、天候不良のため、一旦、南仏のサントロペ(当時、漁村)に立ち寄らざるを得なかった。当時の証言によると、彼らはサントロペ村民にかなり強い印象を与えたようだ!

こちらは、南仏カルパントラ図書館に保管されている、サン・トロペ侯爵夫人が手紙に書いた感想文の一部です:

Il y a huit jours qu'il passa a St Troppez un grand seigneur Indien, nomme Don Felipe Fransceco Faxicura, Ambassadeur vers le Pape, de la part de Idate Massamuni Roy de Woxu au Jappon, feudataire du grand Roy du Japon et de Meaco. Il avoit plus de trente personnes a sa suite, et entre autres, sept autres pages tous fort bien vetus et tous camuz, en sorte qu'ilz sembloyent presque tous freres. Ils avaient trois fregates fort lestes, lesuqelles portoient tout son attirail. Ils ont la teste rase, execpte une petite bordure sur le derrier faisant une flotte de cheveux sur la cime de la teste retroussee, et nouee a la Chinoise […].



和訳:「日本のウォシュー(奥州)の王イダテ・マッサムネ(伊達政宗)の教皇に対する大使、ドン・フィリップ・フランチェスコ・ファシクラ(支倉)と名乗るインドの大領主が、サン・トロペに立ち寄りました。30人以上の家来が付き添い、7人の家臣もおりました。良い身なりをしている全員は、平たい顔で、兄弟に見えました。彼らは、大量の荷物を運んだ三隻のフレガータ船をもって寄港しました。頭が坊主であったが、頭の後部に、伸ばした髪が残っており、それは中国人のように、頭の上部に折りたたみ、結ばれていました[…]。」



「テルマエロマエ」の主人公のルシウス・モデストゥスと同じセリフじゃん!

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Ilz se mouchent dans des mouchoirs de papier de soye de Chine, de la grandeur de la main a peu prez, et ne se servent jamais deux fois d'un mouchoir, de sorte que toutes les fois qu'ilz ne mouchoyent, ils jestoyent leurs papiers par terre, et avoyent le plaisir de les voir ramasser a ceux de deca qui les alloyent voir, ou il y avoit grande presse du peuple qui s'entre batoit pour un ramasser principallement de ceux de l'Ambassadeur qui estoyent hystoriez par les bordz, comme les plus riches poulletz des dames de la Cour.



和訳:「彼らは支那絹の紙のハンカチで鼻をかむ毎にその紙を地に捨てて決して同じハンカチを二度と用いることはなかった。彼らは懐中に相当の量を所持していた。サン・トロペの人々は日本人の外出を待ち受け、日本人の誰かがハンカチを使用して捨てると駈け寄ってそれを拾った。中でも最も貴重視されたのは支倉その人のハンカチであった。」



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現在の日本人は、サッカーの日本代表の試合の後に、必ず掃除をすることが、メディアに取り上げられ、有名になったが、これを読むと、昔は平気でポイ捨てしていたんだね...

昔、ティッシュに相当する鼻紙を「還魂紙(かんこんし)」と言ったそうだ。再生紙のことである。当時、フランス人が紙で鼻をかんでいる日本人に驚いたそうだ。フランスでは紙が貴重だったから。

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または、彼らが刀のパーフォマンスのデモンストレーションをした別の証言:

[…] Le ses epees et dagues sont faictes en fasson de simmetterre tres peu courbe, et de moyenne longueur et sont sy fort tranchantz que y mettant un feuillet de papier et soufflant ilz couppent le papier, et encore de leur papier quy est beaucoup plus deslie que le nôtre et est faict de soye sur lesquels ils escrivent avec un pinceau.



和訳:「彼らの剣は、あまり湾曲していない幅の小さなトルコの刀のように作られており、それらの切れ味があまりにも良いので、一枚の紙を乗せると、その紙に息を吹くだけで切られます。しかも彼らの紙は、我々の紙よりも繊細で絹でできており、彼らは、その上に筆で書いたりします。」



こちらの証言では、お箸を使っての食べ方について記載されている↓

[…] Quand ilz mangeoient ils ne touchent jamais leur chair sinon avec deux petits batons qu'ils tiennent avec trois doigts.



和訳:「彼らが食べる時に、食べ物を絶対に手で触れることがなく、三本の指で掴んでいる2本の小さな棒でしか食べませんでした」



これらの証言を読むと、すごく伝わります。これらの日本人の旅人が、当時のサントロペ村民の好奇心、好意と感激を掻き立てていたことが。これらの証言は、とにかく、掛け替えのないものでござる!

この武勇伝の物語を書いた、彼らの通訳を務めていたイタリア人のシピオーネ・アマーティ氏の当時のフランス語訳は、現在、フランス国立図書館で大事に保管されている!



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彼らは、最終的に教皇に会うことができたが、実は、彼らより31年前に、ヨーロッパへ派遣された九州出身の少年が構成していた天正遣欧使節がその快挙を既に成し遂げていた!

つづく...

※ところで、これらの鼻紙はどうなったかご存知ですか?鼻紙の実物はローマのアンジェリカ博物館に大事に保管されているとされる。

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